2008年5月18日日曜日

着物 ”総集編”

昔のタンスの中身は洋服ではなく着物が主でした。ご結婚に前もって 嫁入り道具のタンスの中にたくさんのイロイロな種類の着物をそろえたのは「両親が娘を これだけ大切に そして 大事にしている」という現れで「この結婚には親は、これほどまでの思いを託している」、「これほど娘のことを思っているのだら、娘を大切に」、「結婚後に困らないように」などなどイロイロな思いが込められていました。結婚後、長い人生のかなで 辛い事があった時には両親が結婚時に用意してくれた タンスの着物をみて結婚時に送り出してくれた両親の思いを振り返り、辛い事も 人生の肥やしとして 成長し、幸せにという 意味合いがあります。「肥やし」は作物の生長には欠かせない肥料。人間にも「肥料」に変わるものは必要ですよね!昔の着物は「着る」という目的だけではなく 着物に携わった人たちの「思い」も通う、長い人生の育みには欠かせないアイテムだったのでしょう 着物を着る時期によって分類すると、大まかに3つに分けられるでしょう。(4月後半・5月・6月・9月・10月上旬)、(7月・8月)そして(10月後半~4月上旬)です。7月、8月に着る着物以外は基本的に同じ着物なのですが、仕立て方が違います。秋の終わりから春先にかけては、寒い季節なので裏を付けて仕立てます。これを着物用語で袷(あわせ)と言います。これに対して、夏に近づく、やや暖かくなる季節や夏の名残がある秋場には裏を付けずに仕立てます。これを単衣(ひとえ)と言います。それぞれの仕立て方を袷仕立て、単衣仕立てと言い、裏を付けたり外したりする事によって3シーズン着る事ができます。ただ、着物の柄によってはその時々の季節を表現した柄がありますので、季節限定になってしまう物もあるでしょう。ここで、アドバイスなのですが、着物をご購入される際、3シーズン通して着たい方は着物の柄をチェックする事をお勧めします。たとえば、着物の柄に桜の花などがあしらってあれば、秋冬に着るのはおかしいですよね。ただ、最近では季節を限定しないようにあえて春秋それぞれの花であったり草木であったり、あるいはそれぞれ両方の季節を現す柄を散りばめた着物が多く出ていますので、見つけるのはそう難しくはないでしょう。夏の着物に関しては、他の物とはかなり異なります。夏の代表的な着物としては、絽(ろ)と紗(しゃ)があげられます。これらは、共に他の時期の着物に比べて通気性が良く、柄も夏を現すものに限られます。ただ、予断になりますが、夏場に着物を着るのはやはり洋服に比べかなり暑く、見た目の涼しさとはかけ離れたものがあります。しかし、そこをさり気なく粋に着こなす事こそが着物の醍醐味ではないでしょうか。 ・着物の柄(デザイン)には、古典柄と呼ばれる文様、もしくは、模様(文様と模様はほぼ同じ意味)がベースになっており、それらをそのまま用いたり、または、組み合わせたりする事によって、改まった席に着る着物を現したり、江戸時代の庶民の日常的な衣服文化を表現したり、または、季節感を現す物など様々です。主な代表的な物として、礼装用の着物柄には、吉祥模様、慶長模様、御所解(ごしょどき)模様、正倉院文様、茶屋辻、辻が花、熨斗目(のしめ)模様などがあり、普段着用の着物(小紋柄)の代表的な柄には、市松模様、立涌、壺垂れ、矢絣、井桁絣、亀甲、唐草、紗綾形(さやがた)など、数多く有ります。また、季節を感じさせる古典柄には、秋草文様などが有ります。これらは現在、すべてが着物用語として、着物業界の共通語として通用しています。 女性用の着物は、大まかに分けて、黒留袖、色留袖、訪問着、振袖、付下げ、小紋、そして紬に分けられます。細かく分ければ、もっといろいろあるのですが、先程挙げた7つが着物の大カテゴリーと言って良いでしょう。それぞれの分類についてですが、解りやすく言えば、格の違い、つまり着て行く場所の違いだと思います。格の順位は、黒留袖、色留袖、訪問着、付下げ、小紋という順です。振袖に関しては、未婚の若い女性が着る着物で、格で言えば黒留袖、色留袖と同等クラスと言って良いでしょう。また、紬に関してですが、格だけで言えば小紋と同等クラスです。つまり簡単に言えば、普段着です。しかし、紬の中には、高級なものが多く、格が低いから安いという事にはなりません。

2008年5月17日土曜日

着物 ”種類編”

着物といっても地域によってたくさんの織り方があります。北海道 厚司織、エルムユーカラ織 青森県 刺しこぎん、津軽木綿(弘前手織)、南部裂織 岩手県 南部紬、茜染、南部紫根染 秋田県 鹿角紫根染、秋田八丈、秋田地織、亀田ぜんまい織 山形県 置賜紬、紅花紬、白鷹お召し、長井紬 宮城県 栗駒正藍染、仙台平、白石紙布、八橋織 福島県 川俣羽二重、福島紬、会津木綿 茨城県 結城紬、石毛紬、豊田紬 栃木県 結城紬、間々田紐、足利銘仙、益子木綿、真岡木綿 埼玉県 秩父織物、裏絹、正藍武州紺織 東京都 村山大島紬、東京染小紋、本場黄八丈、東京手描友禅、多摩織 千葉県 銚子縮、館山唐棧 群馬県 伊勢崎絣、桐生織、館林木綿 山梨県 ウール着尺、甲州印伝、大石唐糸織、甲斐絹 新潟県 越後上布、塩沢紬、小千谷紬、本塩沢、十日町絣 長野県 信州紬、上田紬、信州友禅、飯田紬 富山県 福光麻布、城端織物、桑山紬 石川県 加賀友禅、牛首紬、加賀小紋、羽二重、能登上布 福井県 越前羽二重、越前墨流し染 静岡県 厚司織、エルムユーカラ織 愛知県 有松・鳴海絞、三河木綿、名古屋友禅、名古屋黒紋付染、知多木綿 岐阜県 羽島絹織物、郡上紬、紋・絽羽二重 三重県 松坂木綿、伊賀くみひも、伊勢木綿 滋賀県 高島紬、近江上布、近江木綿、浜ちりめん、出羽木綿 京都府 西陣織、京友禅、京小紋、京黒紋付染、丹後ちりめん、西陣御飯召 奈良県 大和木綿、奈良晒、大和白絣 大阪府 河内木綿、堀段通 兵庫県 但馬ちりめん、丹波木綿 鳥取県 弓ヶ浜紬、弓浜絣 島根県 広瀬絣、安来織、出雲絣、出西織 岡山県 作州絣 広島県 備後絣、ウール着尺 愛媛県 五反田縞、伊予絣 徳島県 阿波正藍、しじら織 高知県 土佐綿紬、土佐つむぎ、土佐地織 福岡県 博多織、久留米絣 佐賀県 佐賀錦 長崎県 島原木綿、長崎錦 大分県 別府絞 宮崎県 薩摩絣、綾の手紬 熊本県 肥後木綿、天草更紗 鹿児島県 本場大島紬、夏大島、薩摩絣 沖縄県 板花手織、久米島紬、宮古上布、読谷山花織、琉球絣、首里織、 琉球びんがた留袖はミセスの第一正装です。家紋は染め抜き五つ紋が正式です。色留袖も五つ紋に白の比翼仕立てならば、第一正装です振袖は、未婚女性の第一正装です。豪華で格調高い色、模様などは絢爛豪華です訪問着は応用範囲がとても広く、未婚既婚に関係なく着られ、年齢を越えて愛用されています付け下げは礼装ではなく、あくまでもおしゃれ着です。付け下げとは肩山、袖山、衿山を境にして、柄がさかさまにならないように上向きにつけられているものです小紋は、私達に親しみのあるおしゃれ着や社交着として気軽に楽しめます色無地は多彩な模様染めの着物と違い、用途に応じて着分ける事のできる利用範囲の広い着物です紬は庶民の強さを秘めた美しさを感じる、各地方独特の色模様を表現しています女性喪服の正装は、黒無地五つ紋付に黒の帯です。

2008年5月16日金曜日

浮世絵 ”総集編”

浮世絵に押されている印には意味があります。浮世絵には、改印という印がおされます。浮世絵を出版する時に、検閲してもらい、その時に改印が押される。押されるといっても、版木に摺っている。浮世絵の出版された時代で印の種類と数が違うらしい。また浮世絵の種類は沢山あるのですがその一覧はこれです。役者絵(やくしゃえ)歌舞伎役者を描いた浮世絵のこと。芝居小屋ができる前の風俗画を除くと、芝居小屋の看板絵が発達してできたものとも言える。鳥居派のように、元々芝居小屋の看板絵を手がける者が、浮世絵として役者絵を描くこともあった。初めのうちは、役者の顔がみな同じに描かれていて、描かれている家紋で、どの役者を描いたか見分けさせるものがほとんどだったが、勝川春章以降、顔を似せて描かれるようになる。芝居が公演される前に発行されるものを「見立て」、芝居が公演されている途中に発行されたものを「中見」と言った。 美人画(びじんが)女性を描いた浮世絵。架空の女性を描くものもあれば、実在の女性を描いたものもある。遊郭が店の宣伝として花魁の絵を描かせることもあった。幕府から遊女の名前を浮世絵に書いてはいけないというよくわからない法令が出されてからは、花魁の名前を絵文字にしたりして描かれたりした。 名所絵(めいしょえ)名所を描いた風景画の浮世絵のこと。江戸の中期から後期にかけては地方から来た人が江戸土産に持って帰るために、江戸の名所を描いたものが多かったが、江戸後期から幕末にかけて、江戸に旅行(お伊勢詣)ブームが起こってからは、東海道など日本各地の名所を描いたものが多くなった。明治になり新しい文化として蒸気機関車などが描かれた「開化絵」も名所絵の一部とも言える。 死絵(しにえ)役者や戯作者など、江戸における著名人が亡くなったときに発行される浮世絵。今で言うところの追悼記念特集である。歌舞伎役者の中には江戸と上方を往復して巡業する人も多かったので、有名な役者には地方のファンも多かった。浮世絵は、情報伝達の遅い時代にこういった情報を伝える役割も果たした。 張交絵(はりまぜえ)一枚の絵が何コマかに分割されており、それぞれのコマに関連のない絵が描かれた浮世絵。切り取ってシールのように貼り付けて使ったりする。全部のコマを一人の浮世絵師が手がけることもあれば、複数の絵師で合作することもあった。張交絵そのものは歌川広重が考案したとされている。 武者絵(むしゃえ)歴史上有名な武将や英雄などを描いた作品。文学作品上に登場する架空の英雄を描いた絵もこれに含まれる。江戸時代は徳川政権の時代でもあったので、幕府からは織豊時代とそれ以後の武将を描くことは禁止されていた。そのため、あえてその時代の武将を描くときは他の時代(鎌倉時代など)の人物という設定にしたり、人物名をそれと分かる程度に変えたりして発行された。特に歌川国芳が有名で、彼の描いた「水滸伝豪傑百八人之一個」の絵と同じ入れ墨が江戸で流行したりした。 物語絵(ものがたりえ)日本や中国の歴史や古典、江戸時代の人気作品などを題材にした絵。武者絵や源氏絵はこれに含まれる。 源氏絵(げんじえ)柳亭種彦の合巻「偐紫田舎源氏」を題材にした絵。「偐紫田舎源氏」は「源氏物語」を題材にして、江戸時代の大奥をモデルにして、室町時代のお家騒動を描いた作品(どんな作品なんだか)で、変な髷を結った男と美女が描かれている画題が主。本編で挿し絵を描いた歌川国貞の他、国芳や芳年など、同時代やそれ以後の絵師たちも多く手がけているため、かなりの枚数にのぼる。源氏香の図が画中にあるのも特徴のひとつ。 鯰絵(なまずえ)大地震を鯰に見立てて描いた絵。安政2(1855)年に起こった安政の大地震の直後に大量に出回った。地中で地震を起こす大鯰を鹿島大明神が要石で押さえることによって地震を鎮めるという俗説を絵画化したものの他、地震の被害状況を伝えたものなどがある。当時は事実を報道する文章や絵は幕府によって摘発されるため、改印、版元名、絵師名が明記されていない。また、短期間に大量に発行されたので、彫りや刷りは概して雑なものが多い。 横浜絵(よこはまえ)当時、横浜にいた外国人や西洋風建築物を題材にした絵。幕末から明治初頭に流行する。安政5(1858)年に日米通商条約が結ばれてから、横浜の街は開港され、急速に欧米文化を受け入れることとなった。江戸にいた人たちはまだそれらを目にする機会が少なかったので、時代を映す浮世絵の題材となった。 開化絵(かいかえ)明治維新以後の文明開化を描いたもの。文明開化の風俗や社会現象、西洋風建築物などが描かれた。明治6(1893)年には鉄道を描いたものも登場する。横浜絵が、明治以降は東京を舞台とした開化絵という形で発展したとも言える。 新聞錦絵(しんぶんにしきえ)明治になり、東京日々新聞(今の毎日新聞の前身)から発行された新聞形式の浮世絵。重大ニュースよりは(今だとスポーツ新聞の三面記事になるような)個人的なゴシップネタが題材とされることが多かった。新聞を普及させるために発行された面もあるが、絵を描いて版を作って発行するまでに時間がかかるため、新聞の普及率が上がると同時に自然にその存在は忘れ去られていった。 以上が浮世絵編でした。

2008年5月15日木曜日

浮世絵 ”歴史編”

浮世絵とは、江戸時代に発達した風俗画の様式の一つです。浮世絵の画家として有名なのは、写楽、葛飾北斎、安藤広重、喜多川歌麿などです。浮世絵といえば、時代劇や歴史の教科書などにも登場しているので、誰でも必ず一度は見たことがあるでしょう。浮世絵の実物を見れば「これが浮世絵か」と納得されることと思います。浮世絵の題材としては、遊里や芝居、相撲などの情景や、役者、美男美女、力士などの似顔絵が中心でしたが、歴史画や風景画、花鳥といった浮世絵もありました。こうした浮世絵は、品位がある作品とは言い難いですが、当時の民衆の嗜好や暮らしぶりがうかがうことができ、なかなか興味深いものです。浮世絵には、肉筆画と版画とがあり、特に「錦絵(にしきえ)」と言われる多色刷り版画は、19世紀末のヨーロッパの印象派の画家たちに大きな影響を与えました。浮世絵は、1人で描かれるものではなく、「絵師」「彫り氏」「刷り氏」から1つの浮世絵が完成します。浮世絵は江戸初期に最初の浮世絵師菱川師宣によって単色墨摺りの版画としてジャンルを確立。西川裕信の門下だった鈴木春信によって多色摺りの錦絵が編み出された。春信以降、六大浮世絵師として、清長、歌麿、写楽、北斎、広重が出てくる。その契機を産み出した春信の浮世絵は京都の西陣織のような江戸の絵ということで東錦絵と呼ばれていた。江戸時代に発達したとあって日本人だけではなく外国人の方からも大変興味深くみられる日本の伝統絵であります。

2008年5月14日水曜日

お寿司 ”歴史編”

今日は日本の食文化のお寿司の歴史を書いてしめくくりたいと思います。すしの起源は東南アジアといわれる。川魚の保存法として米などの穀類と炊いたものと一緒に漬け込み、米の発酵を利用して魚を保存した。 この技術が中国→朝鮮半島→奈良時代に日本に伝わったといわれる文献によると:718年(奈良時代)養老律令の税金の項目にアワビずし・イガイずしを税金で収めたと記載されている。江戸時代以前、寿司の見た目は現代のように整ってはおらず、押し寿司(現在では関西ずしと分類されている)のようなものが主であった。また当時の寿司は現代の握り寿司に換算して9貫(約18個分、360g)ほどもある多量の米に9種類あまりのネタを乗せたものであり、一貫鮨とも称される大変大きなものであったと伝えられている。江戸時代末期・文政年間に、この鮨を食べやすく小分けにした今の握りずしの原型ともされる寿司が現れる。この寿司は江戸・両国にて華屋与兵衛(小泉与兵衛)「与兵衛寿司」により考案されたとされる(いわゆる江戸前寿司)。しかし、当時の寿司はどちらかというとおむすびのようなものであったらしい。また、冷凍技術も未発達の時代であったため、近海で獲れたものをさらにヅケにしてネタとして使用していた。また大きさも現代の握り寿司の2~3倍であったとされ、貫という助数詞における分量単位も、これを基準に確定していった。昭和の後期(1970年代頃)までは、寿司は高級料理の代名詞であった。祝い事などの際に寿司の出前をとるというのが庶民的な感覚であった。回転寿司は今から40年以上も前に考えられました。昔はお寿司というものはとっても高価な食べ物で値段のほうも安いものから高いものまで時価などがありますから、一般庶民にとっては、なかなか手が出ないものでした。そこで、お寿司を少しでも安く安心して食べてもらおうということで考えられたのが回転寿司です。最初は「オール100円」「待たずに食べれる」「うまい安い」などがうたい文句でした。お皿の色によって値段が違うのはその後のころからです。口コミなどで徐々に全国に広がり今ではもう知らない人がいないというくらい有名です。 さて、魚を米などで乳酸発酵させた「鮨」「鮓」が酢飯で魚を握る「寿司」になる。一体何時ごろから「鮨」「鮓」ではなく「寿司」の字を当てるようになったのでしょうか? それはおそらく、華屋與兵衛(はなやよへい)が店を開いた頃ではないかと考えられています。なぜなら、縁起を担ぐのが当たり前の江戸っ子です。初鰹をありがたがり、酉の市では熊手を買い求め、伊勢参りが最大のレジャーであったのです。寿司は「寿、目出度いことを司る」食べ物であると宣伝すれば、江戸っ子たちは「それじゃあ、ちょいと寿司で摘もうかい」と財布の紐を緩めるでしょう。つまり「寿司」とは当時の宣伝が現代まで残ったものなのです。マグロはそう多く使われては居ませんでした。足の早い魚は下魚の下とされ、屋台などが使う程度でした。しかし、江戸前寿司が誕生したのは1820年代のこと。それはちょうど欧米で冷蔵庫が発明された時期のことなのです。時代を重ねるごとに流入する欧米の文化や技術は、寿司にも大きな影響を与えていきます。気化熱を利用して作った氷でマグロの鮮度を保つことが出来るようになると、マグロは下魚を返上して寿司の王様となって行きます。明治時代にはすき焼きなどの肉食文化の進歩で、味の濃い食べ物が好まれるようになるとトロの部分も食されるようになっていきます。その後、昭和期は終戦後、全国的な食糧難がありましたが寿司屋は『委託加工制』というお客が持ってきた米と引き換えに寿司を握るシステムを立ち上げ、様々なネタを使って寿司を復興させていったのです。寿司は、時代の節目において様々な変化を見せ私たちの舌を楽しませてきたのです。以上お寿司の特集でした。明日からも日本独自の文化を取り上げていきます。

2008年5月13日火曜日

お寿司 ”ネタ編”

今日はお寿司やさんのネタの紹介をしたいとおもいます。あおりイカ ねっとりとした食感と甘みがアジ 生姜でいただく赤貝 小ぶりな物の方が身が締まっていて美味アオヤギ 新鮮なアオヤギは磯の香りが漂う。穴子 江戸前は甘い煮きりをつけるアワビ 安い物はロコ貝を使用あん肝軍艦 あん肝軍艦カツオ マグロに次ぎ、消費量が高いかわはぎ 肝乗せで出されることが多いゲソ 生ゲソ、焼ゲソなどあるが、やはり生姜でいただきたい車エビ エビの中で最も甘くておいしいといわれる。養殖ものでも美味サーモン 回転寿司界で最もバラエティに富むネタ。サバ 光り物で最も人気が高い。生は脂のりが抜群玉子 自家製の玉子焼きには店の刻印が押してあるものもある鉄火巻 手巻きよりも細巻きが人気。腹ごなしとして適役なネタとり貝 活とり貝は潮の香りが漂う。レモン一滴でさわやかに納豆巻き 細巻きよりも手巻きが人気。ひきわりをチューブで絞り出すのどぐろ 赤ムツ。北陸魚の白身の王様と称されるハマチ ネタも大きくお得感は抜群。季節には脂ものり美味ビントロ ビン長マグロ。脂のりがよく、値段も安いため回転寿司で人気ホタテ 新鮮・肉厚のホタテは舌触りと風味を味わうボタンエビ 北海道のエビの王様。頭付きは見た目も豪華マグロ 寿司屋のみならず回転寿司界でも店の顔。安さが魅力マグロ 寿司屋のみならず回転寿司界でも店の顔。安さが魅力ミル貝 コリッとした歯ごたえが魅力。塩で食べるのもオツだ鮑(あわび) abalone 鯵(あじ) horse mackerel 穴子(あなご) conger eel 鰯(いわし) sardine 鰈(かれい) flatfish 鯨(くじら) whale おこぜ stingfish 鮭(さけ) salmon (綴りに注意) 鰆(さわら) spanish mackerel 鯖(さば) mackerel 鮫(さめ) shark 鱸(すずき) sea bass 鮟鱇(あんこう) angler あんきも angler liver 鰻(うなぎ) eel 赤貝 red clam 雲丹(うに) sea urchin いくら salmon roe 烏賊(いか) calamari 甘エビ sweet shrimp 鰹(かつお) bonito 蟹(かに) crab 数の子 herring roe 牡蠣(かき) oyster 太刀魚(たちうお) swordfish 鱈(たら) cod 蛸(たこ) octopus 鯛(たい) sea bream 秋刀魚(さんま) saury しゃこ mantis shrimp 白身魚 white fish 鱧(はも) conger, pike eel 鰤(ぶり) yellowtail はまち young yellowtail 鮪(まぐろ) tuna 赤身 lean tuna とろ fatty tuna 中とろ medium fatty tuna 大とろ fattest tuna なまこ sea cucumber 平目(ひらめ) turbot 河豚(ふぐ) blowfish 鰊(にしん) herring 帆立貝(ほたてがい) scallop 海草(かいそう) seaweed 海苔(のり) dried seaweed 以上は寿司ネタの一部です。まだまだたくさんあるんですねネタの工夫でいろいろなアレンジができるのでどんどん新しいネタがでてきてます。どれにしてもホントにお寿司っておいしいですねよね!外国人の方が好きな食べ物でお寿司をあげるのがわかります!

2008年5月12日月曜日

お寿司 ”種類編”

各地では名物ずしがいまだに残っています。以下にその代表的なものを紹介します。はたはたずし 秋田県の郷土食  かぶらずし 石川県金沢一帯に昔からある馴れずしの一種薄切りしたかぶらの間に魚をはさみ、あついごはんやこうじを加えて樽に漬け込みますふなずし 滋賀県一帯の郷土料理鯖ずし 京都で古くから名物となっているすしですちらしずし ちらしずし山海の幸をたっぷりのせた<ばらずし>ばってら 大阪で鯖ずしのことをばってらと呼んでいますカマスずし 福岡県筑後地方の郷土料理酒ずし 児島に古くからある郷土料理稲荷寿司 稲荷神社で祭られるきつねの好物である油揚げの中に酢飯を詰め込んだものです手巻き寿司 用意された食材を自分で海苔に取り分けてくるりと巻いて食べるものです握り寿司 酢飯を一口大に握り、わさびをすっと一塗り、その上に四季折々の魚介類をのせて出す握り寿司。江戸時代に完成され、原料には江戸前の海で取れた海産物を使用することから江戸前寿司とも呼ばれます。「すし」は今日ごはんを使った料理の中で、最も種類が多く、また最も一般に広まり親しまれているものです。関東地方ではすしと言えば江戸前のにぎり寿しですが、現在の形態になるまでには随分と変遷があったのです魚類も一夜塩漬けし、ごはんの冷えたものといっしょに漬けて重しをかけてつくります。このようにすると、ごはんに含まれているでんぷんなどによって発酵が早くなり、しかも味が複雑でおいしくなります。このごはんは、発酵や風味を加えるために用いるものであり、食べる際には魚肉のみを用いました。これが今も残っている「馴れずし」です「馴れずし」をつくるのには、早いもので5日、普通は1か月以上もかかるため、さらに早くつくれるように工夫したものが現れました。 「早ずし」とか「一夜ずし」と呼ばれるものです。発祥は関西と言う説が多いのですがはっきりした記録はありません。「早ずし」は熱いごはんを用いて、これに魚を漬けたり、または漬け込んだものを加熱し、さらに重しを強くかけて一夜で馴らしたものです。後になると、これがさらに簡略化され、発酵させずに酸味と防腐性をもたせるために酢が用いられました。すしに酢が用いられるようになった始まりで、「押しずし」、または「箱ずし」と呼ばれました。 「早ずし」になると、ごはんも食べるようになりました。このため、当初は「飯(いい)ずし」、または「食ずし」と呼び、「馴れずし」と区別されました。もちろんここに紹介したお寿司は有名どころなのですが、このほかにも地方などにはいろいろな寿司がありますし、製法一つとっても微妙な違いがあります。