2008年5月14日水曜日

お寿司 ”歴史編”

今日は日本の食文化のお寿司の歴史を書いてしめくくりたいと思います。すしの起源は東南アジアといわれる。川魚の保存法として米などの穀類と炊いたものと一緒に漬け込み、米の発酵を利用して魚を保存した。 この技術が中国→朝鮮半島→奈良時代に日本に伝わったといわれる文献によると:718年(奈良時代)養老律令の税金の項目にアワビずし・イガイずしを税金で収めたと記載されている。江戸時代以前、寿司の見た目は現代のように整ってはおらず、押し寿司(現在では関西ずしと分類されている)のようなものが主であった。また当時の寿司は現代の握り寿司に換算して9貫(約18個分、360g)ほどもある多量の米に9種類あまりのネタを乗せたものであり、一貫鮨とも称される大変大きなものであったと伝えられている。江戸時代末期・文政年間に、この鮨を食べやすく小分けにした今の握りずしの原型ともされる寿司が現れる。この寿司は江戸・両国にて華屋与兵衛(小泉与兵衛)「与兵衛寿司」により考案されたとされる(いわゆる江戸前寿司)。しかし、当時の寿司はどちらかというとおむすびのようなものであったらしい。また、冷凍技術も未発達の時代であったため、近海で獲れたものをさらにヅケにしてネタとして使用していた。また大きさも現代の握り寿司の2~3倍であったとされ、貫という助数詞における分量単位も、これを基準に確定していった。昭和の後期(1970年代頃)までは、寿司は高級料理の代名詞であった。祝い事などの際に寿司の出前をとるというのが庶民的な感覚であった。回転寿司は今から40年以上も前に考えられました。昔はお寿司というものはとっても高価な食べ物で値段のほうも安いものから高いものまで時価などがありますから、一般庶民にとっては、なかなか手が出ないものでした。そこで、お寿司を少しでも安く安心して食べてもらおうということで考えられたのが回転寿司です。最初は「オール100円」「待たずに食べれる」「うまい安い」などがうたい文句でした。お皿の色によって値段が違うのはその後のころからです。口コミなどで徐々に全国に広がり今ではもう知らない人がいないというくらい有名です。 さて、魚を米などで乳酸発酵させた「鮨」「鮓」が酢飯で魚を握る「寿司」になる。一体何時ごろから「鮨」「鮓」ではなく「寿司」の字を当てるようになったのでしょうか? それはおそらく、華屋與兵衛(はなやよへい)が店を開いた頃ではないかと考えられています。なぜなら、縁起を担ぐのが当たり前の江戸っ子です。初鰹をありがたがり、酉の市では熊手を買い求め、伊勢参りが最大のレジャーであったのです。寿司は「寿、目出度いことを司る」食べ物であると宣伝すれば、江戸っ子たちは「それじゃあ、ちょいと寿司で摘もうかい」と財布の紐を緩めるでしょう。つまり「寿司」とは当時の宣伝が現代まで残ったものなのです。マグロはそう多く使われては居ませんでした。足の早い魚は下魚の下とされ、屋台などが使う程度でした。しかし、江戸前寿司が誕生したのは1820年代のこと。それはちょうど欧米で冷蔵庫が発明された時期のことなのです。時代を重ねるごとに流入する欧米の文化や技術は、寿司にも大きな影響を与えていきます。気化熱を利用して作った氷でマグロの鮮度を保つことが出来るようになると、マグロは下魚を返上して寿司の王様となって行きます。明治時代にはすき焼きなどの肉食文化の進歩で、味の濃い食べ物が好まれるようになるとトロの部分も食されるようになっていきます。その後、昭和期は終戦後、全国的な食糧難がありましたが寿司屋は『委託加工制』というお客が持ってきた米と引き換えに寿司を握るシステムを立ち上げ、様々なネタを使って寿司を復興させていったのです。寿司は、時代の節目において様々な変化を見せ私たちの舌を楽しませてきたのです。以上お寿司の特集でした。明日からも日本独自の文化を取り上げていきます。

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